カラトラバRef.5196の魅力 - 理想の「引き算」で見つけた、私の原点-

初めて購入した高級時計、パテック フィリップのカラトラバRef.5196J。時計雑誌で一目惚れしてから、約5年間お金を貯め続け、仕事の節目でもあった2020年にようやく手にした思い入れ深い一本です。今回は、実際の使用者だからこそ見えてきた5196Jの魅力を一人の愛好家の視点で綴りたいと思います。

カラトラバRef.5196Jとの出会い

2016年に初めて時計雑誌を開いたとき、まず驚いたのは時計一本一本が持つ「情報量の多さ」でした。高級時計といえばロレックスやオメガくらいしか知らず、普段はシンプルな壁掛け時計くらいしか目にしていない私にとって、それらはあまりに眩しく、主張が強く、そしてどこか違和感を覚えるものだったのです。

社会人として納得のいく一本を選びたい。けれど、どれも今の自分には選べない。そこで私は一度立ち止まり、「自分にとっての理想の時計とは何か」を、価格は一旦置いておいて考えてみることにしました。

そのとき導き出した理想は、とてもシンプルなものでした。

・機能を削ぎ落とした、ミニマムなデザインであること(できれば2針)。
・一生ものとして愛せる、気品ある金素材であること。

しかし、この2つの条件を満たすものは、雑誌を眺めていても思いの外見つかりませんでした。2針の時計はそもそも少なく、3針の日付付きが主流。たまに見つけた2針の時計は、今度は自分には少し淡白すぎるようにも感じられました。

そんな中、ふと目に留まったのがパテック フィリップの「カラトラバRef.5196J」でした。

金色に輝くケースに、力強い時分針と立体的なインデックス。そして、それらを邪魔しないように控えめに配置されたスモールセコンド。まさに当時の私が思い描いた「理想の時計像」が、そこには映し出されていました。

そして、約5年ののち、2020年に念願の購入に至りました。

伝説的モデル「Ref.96」の正統なる継承

Ref.5196Jを手にしてから、自分なりにこの時計の背景を少しずつ紐解いていきました。そこで分かったのは、私が一目見て「これが理想だ」と感じたあの姿は、実は90年以上も前から大切に守られてきた、パテック フィリップにとっての原点の形だったということです。

デザインの源流は、1932年に生まれた「Ref.96(通称クンロク)」にあります。当時、それまでの懐中時計のような装飾的なスタイルから一線を画し、「機能がフォルムを決定する」というバウハウスの合理的な考え方を取り入れて生まれたのが、カラトラバの始祖であるRef.96でした。

このRef.96のスタイルを決定づけているのは、時計としての純粋さを追求したいくつかの象徴的な要素です。

まず目を引くのは、ケースから流れるように一体となって伸びる「ラグ」の造形です。それまでの懐中時計に後から足を付けたようなデザインとは異なり、ケースとラグが滑らかな曲線で繋がるこのフォルムは、カラトラバを象徴する最も美しいディテールの一つといえます。

また、文字盤をシンプルに縁取る「フラットなベゼル」や、鏡面が美しく光る「ドルフィン針」、そして立体的で力強い「砲弾型(バレット)」のインデックス。これら一つひとつの要素が、単なる装飾ではなく、時計としての視認性と品格を両立させていました。

Ref.96は1932年の誕生から1970年代の初頭まで、長きにわたってパテック フィリップのドレスウォッチを象徴した存在であり続けました。

Ref.96 出典:RASIN WEB MAGAZINE

受け継がれた小ぶりな名作「Ref.3796」

1932年に生まれた初代96のデザインを、1982年に改めて復活させたのがRef.3796です。ケース径は31mmと、初代96の30.5mmとほぼ同サイズでした。今の感覚からするとかなり小ぶりですが、当時のパテック フィリップが「96」のスタイルをどれほど大切に再現しようとしたかが伝わってくるモデルです。

実際にこのモデルを調べてみて驚いたのは、その「装着感」への徹底したこだわりでした。厚さを約7mmまで薄く抑えつつ、ムーブメントの搭載位置をあえてケース裏側に寄せることで、重心を低く設計しているのだそうです。この「低重心」のデザインが、腕に吸い付くような心地よさを生んでいたという事実は、後の5196を理解する上でも大きなヒントになりました。

Ref.3796 出典:RASIN WEB MAGAZINE

時代の移り変わりを映す「Ref.5096」

その後、1995年に登場したのがRef.5096です。このモデルの興味深い点は、31mmだったサイズを33mmへと少しだけ大きくし、さらに裏蓋をムーブメントが見えるシースルーバックにしたことです。

当時はちょうど、機械式時計の醍醐味であるムーブメントを眺めて楽しむ文化が広まり、時計の大型化が主流になり始めた時期でした。Ref.3796と並行して販売されていたこのRef.5096は、伝統を守りながらも「社会的なニーズ」を少しずつ取り入れようとした、パテック フィリップの試行錯誤が垣間見える存在だと感じます。

初代96の意匠を受け継ぐ不朽の名品Ref.3796と、時代変化にあわせて進化を遂げたRef.5096。これらは2000年に惜しまれつつも廃番となり、のちのRef.5196が誕生するまで、しばしの静寂のひとときが流れました。

   

Ref.5096(※GINZA RASINの商品販売ページより引用)

そして、Ref.5196へ

こうして歴史を辿ってみると、2004年に登場したRef.5196が、なぜ37mmというサイズを選んだのかがより鮮明に見えてきました。単に大きくしたのではなく、3796の完璧な均衡と、5096が求めた現代的な感覚。その両方を引き継ぎながら、今の時代における「正統」を形にしたのが、この5196だったのではないでしょうか。

Ref.5196 出典:パテックフィリップ公式サイト

時を超えて昇華した初代96のデザインコード

これまでの歩みを振り返ると、2004年に登場したRef.5196は、パテック フィリップが90年近く守り続けてきた美学の、一つの到達点であることが分かります。

その最大の特徴は、やはり徹底して守り抜かれたデザインコードにあります。ケースと一体化した流れるようなラグ、そして文字盤を静かに縁取るフラットなベゼル。これらは「装飾的なスタイルから一線を画した」初代96から続く、カラトラバの魂とも言える造形です。そこに、1920年代の懐中時計からインスパイアされたドルフィン針や、立体的で力強い砲弾型(バレット)のインデックスが加わることで、単なるシンプルではない、凛とした品格が生まれています。

かつての31mm(Ref.3796)から33mm(Ref.5096)を経て、Ref.の5196で辿り着いた37mmというサイズ。それは、伝統的な美しさを損なうことなく、現代の装いに調和させるために導き出された、まさに現代の正統を象徴するバランスなのです。

信頼を刻み続ける名機「Cal.215PS」

この美しい佇まいを支えているのが、内部に搭載された手巻きムーブメント「Cal.215PS」です。1974年の登場以来、約半世紀にわたって同社を支え続けてきたこの機械は、パテック フィリップの中でも最も信頼の厚い名機の一つ。直径21.9mm、厚さわずか2.55mmというこの「小さくて薄い」ムーブメントをあえて採用し続けたことこそが、5196という時計のキャラクターを決定づけました。

一般的には「ケースに対して機械が小さい」ことが議論の対象になることもありますが、この熟成された薄型ムーブメントの採用こそが、ケースのデザイン設計に自由度を与え、7.68mmという数字以上に薄く軽やかな装着感と、ドレスウォッチとしての理想的なプロポーションが実現しているのです。

ここまでは、いわば5196が名作とされる公の理由です。しかし、私が本当にこの時計に心を奪われた理由は、スペック表には現れない、もっと繊細な部分にありました。

Cal.215PS 出典:パテック フィリップ公式サイト

ケースサイドに宿る、静かなる美学

この時計を眺めていて、ふと心を奪われるのが横から見た時の表情です。Ref.5196のケースは、ベゼルから裏蓋にかけてキュッと絞り込まれるような独自の造形をしています。

この「絞り」によって、鏡面仕上げが施されたメタルバック(裏蓋)の柔らかな湾曲がより際立ち、金素材が放つ品格と相まって、ドレスウォッチとしての究極のエレガントさを生み出しています。裏蓋がわずかに膨らみを帯びていることで、視覚的には実際の数値以上に「薄さ」が強調され、同時に手首の曲線にそっと寄り添うような、心地よい装着感に繋がっているのです。

シャツの袖口からふとした瞬間に覗く、この絞り込まれたライン。そこが優しく光を拾う様子を眺めていると、控えめながらも計算し尽くされたパテック フィリップの深い美学を、静かに実感せずにはいられません。

Ref.5196G 出典:webChronos

スモールセコンドの位置が語るもの――5196という選択

Cal.215PSという小径・薄型の手巻きムーブメントを、37mmという現代的なケースサイズに収める。その時点で、スモールセコンドが文字盤の内側に位置することは避けられず、設計上の制約となります。

しかし、5196が興味深いのは、その制約を単なる妥協として処理しなかった点にあります。

スモールセコンドが中央寄りに配置されたことで、結果的に6時位置のインデックスとの物理的な干渉は最小限に抑えられました。そのおかげで、5196では6時位置においても、他の位置と視覚的なバランスを損なわない砲弾型インデックスを配置する余地が生まれました。

文字盤外周を均等に取り囲む12本のインデックス。その円環がもたらす秩序はこの時計のデザインバランスを特徴付け、文字盤全体に均衡と静かな安定感を与えています。

スモールセコンドを備えながらも、視覚の主役はあくまで力強い時分針と長く立体的なインデックス。これこそが、5196に一貫して感じられるデザインコードだと私は捉えています。

Ref.5196 出典:パテック フィリップ公式サイト

そして時を経て、2025年に登場したRef.6196P。

ムーブメント径とケースサイズのバランスは最適化され、スモールセコンドはより外周に近い、いわば「現代的に正しい」位置へと再配置されました。造形としての合理性、説明性という点では、Ref.6196Pは完成度の高いアップデートと言えるでしょう。

出典:パテック フィリップ公式サイト

一方でRef.5196は、ケースの大型化が進み始めた時代の黎明期において、小径ムーブメントを前提としながらも、ケースフォルム、文字盤に生まれる余白、針とインデックスの力関係、そして裏蓋を含めた時計全体のプロポーションを高度に調和させ、薄く、軽やかで、極めてエレガントな時計へと昇華させました。

6196Pが「整えられた現代の完成形」だとするならば、5196は制約の中で秩序を崩さず、沈黙のうちに美を成立させた一本と言えます。

合理性だけでは測れない、制約の中に宿る美学。Ref.5196Jを手首に乗せるたび、そこにあるのは単なる時計の重みではなく、パテック フィリップが長年をかけて磨き上げてきた「引き算」という設計思想の結晶なのだと、私は捉えています。

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